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1963     山口県宇部市生まれ
1982-1984  東京~福岡で自転車プロショップで自転車仕事に従事
1985-1996  自転車プロショップ「WheelClub/自転車屋」経営
1993-1996  全日本MTBナショナルチームメカニック担当
1997-1998  全米ジュニアMTB代表チーム「DEVO」チームメカニック担当
1998-2002  TIOGAグローバルメカニック(世界選手権、ワールドカップ)担当
2008-2012  「LifeCreationSpace OVE」マネージャー
2013-     国際サイクル専門学校 開設予定プログラム開始

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いろいろな自転車雑誌で紹介してもらいました。

rireki19860801.jpgrireki19860802.jpg▲クリックで拡大
21才で開店した福岡プロショップ「WheelClub」。ビルダーの兄弟子でもある三浦氏とスタートした時にオリジナルオーダーフレームを紹介していただきました。当時はオーダーフレーム全盛時代でした。
(出典:サイクルスポーツ1986.8号)


rireki19980101.jpgrireki19980102.jpg▲クリックで拡大
当時唯一のMTB専門誌「MTBworld」で海外の個人プロメカニックをスタートした時の紹介。一緒に写っているのはメカニック仲間にして、現スラムMTBワールドレーシングチームボスでもあるジョン・ドーソン氏。
(出典:MTBworld vol.2)


rireki19980201.jpgrireki19980202.jpg▲クリックで拡大
専門誌に自転車界の「旬な人」として紹介していただきました。他のメンバーはクロモリの達人、石垣社長、元祖自転車メッセンジャー「T-serv」池谷社長、DHライダー増田さんなどそうそうたるメンバー。
(出典:サイクルスポーツ1998.2月号)


rireki19980601.jpgrireki19980602.jpg▲クリックで拡大
初めての著作本でもある「MTBサスペンションチューニング」での紹介文で当時の仕事スタイルを紹介。日本ではお馴染の前掛けをして仕事してたら海外のメカニック仲間からもスゴイ反響でした。
(出典:MTBサスペンションチューニング)


rireki19981101.jpgrireki19981102.jpg▲クリックで拡大
当時の内山編集長から一本の電話。撮影するのでちょっと来てくださいとのこと。なぜかスタイリストさんが待機。普通の仕事と思いきや表紙の撮影をなりました。表紙はメンテ大王なのになかではケミカル大王に。
(出典:バイシクルクラブ1998.11月号)


rireki19990801.jpgrireki19990802.jpg▲クリックで拡大
当時はMTBレースの全盛時代。ワールドカップが日本で開催されており、海外の生活の合間に日本で仕事を出来ることに大きな喜びと誇りを感じていました。海外のメカニックともかなり色んな面で親交を深めていました。
(出典:MTBworld vol.8)


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ファーストバイク?

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一番最初に自転車に乗れた時の感動って覚えています?
私の場合、この写真だけが残っていて実際にこの自転車がどこで買って、
なんと言うブランドかが分かりません…。
少し、時代が古いのですがキャラクターモノではなくって意外にシンプルな自転車です。
でも、私は家族にこんな写真を撮ってもらって感謝しています。


フラッシャー時代

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当時は別に自転車好きというわけではなくても、やっぱりフラッシャー付きの自転車に憧れました。
同じ頃、シュウィンがBMX/MTBの原型になる自転車を発表。
日本の自転車は当時のアメリカのすてきなデザインのコピーも多かったのです。
当時の工業製品はほとんどそんな感じ。
まねる(真似る)ことからまなぶ(学ぶ)時代でした。


ランドナー・スポルティーフ時代

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当時は、まだMTBとかトライアスロンという明確な自転車はありませんでした。
だからスポーツ自転車との出会いはやっぱりフレンチスタイル。
数十年もの間、形を変えずに受け継がれてきた自転車のスタイル。
旅するにはやっぱりこういう形が落ち着きます。
当時この自転車を使って泊まりがけの旅。宿泊はユースホステルか駅のベンチ泊でした。。


Wheel Club開店

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1985年に福岡市にサイクルショップ「Wheel Club」をオープン。
後にサイクルショップを開かれる三浦氏が最初のメンバーでした。
店名を「自転車屋」に変更しながら優秀な若いスタッフに囲まれて1996年まで続きました。


自転車プランナー

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ショップ経営と平行しておこなっていたのが、
MTB世界選手権の日本チームメカニックと自転車の各種イベント。
1993年(フランス)〜1996年(オーストラリア)までチームメカニックの一人として、
日本代表チームに協力しました。
1996年はオリンピック(アトランタ)にMTBが最初の正式種目として採用された年。
そんな初代MTBオリンピック選手選考会の初戦を佐賀・三瀬村、
RKB毎日放送、そして九州のすてきな有志達と手がけました。


Team DEVOメカニック

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ショップを辞めて、ずっと夢だったレース現場でのメカニックへ。
1998年から最終的に友人の薦めもあり、アメリカのMTBジュニアチーム「DEVO」で働くことに。
アメリカの一番強い子供達を集めて連盟の肝いりで作られたチームだけに、勝ちまくってくれました。
当時は賞金レースが多く、メカニックの私にもお裾分けがありました。


TIOGA ワールドメカニック

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NORBAの伝説的レース"マンモスMt."で、TIOGAボス・ショーンに出会い
ワールドレースメカニックへ環境をチェンジ。
契約したのは北米&ヨーロッパのMTBワールドカップとMTB世界選手権のみ。
まさに、トップカテゴリーのレースだけを職場とする環境になりました。
ここでの経験はショップ時代と含めて、すべての自転車の仕事の基礎となっています。


自転車コーディネーター

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プロメカニックもこなしながら、それ以外にもっと幅広い自転車の仕事がしたくって
現在のポジションが進行中。よく何をしているの? と言われるのですが、
自転車の仕事全般と形容する始末。現在は自転車ブランドの広報活動に始まり、
自転車プロメカニックのサポートや日本における自転車環境のプランニングやイベント、
セミナーなどの啓蒙活動まで幅広く活動中です。